安田靫彦展(2) いにしえの息吹

先日放送されたNHK日曜美術館で「安田靫彦 澄み切った古を刻む」・・・

安田靫彦展(5月15日まで)に2度足を運んだ。
安田靫彦の描く線の細さ、澄んだ色彩を間近に観ることができ、作品を存分に鑑賞してきたのだが、実は緻密な計算と研究しつくした時代考証のもとに一枚一枚描かれたのだと、番組を通して知った。
また、93年の生涯を絵にかけたのだが、「絵のことを常に考えているから、人生を退屈だと思ったことはない」という安田靫彦の言葉は、その情熱が羨ましいぐらい本物であったことを教えてくれた。

展覧会でも、80才以降に描かれた作品は、16点展示されていた。

有名な「額田王」は80才の時の作品(滋賀県立近代美術館)



「草薙の剣」は89才の時の作品(川崎市市民ミュージアム)



「富士朝暾」は91才の時の作品(京都国立近代美術館)






作品を間近にみるとよくわかるのだが、細部にわたる装飾、線の描き方は、年齢を全く感じさせない。
では、安田靫彦の情熱の根源にあるものとは何だろう。

安田靫彦が求めていたものは、ずっと日本人の中に変わらずにあるものなのだと思う。
現代社会は絶え間なく変化し続けるのであるが、それでもなお変わらないものもきっとあるはずだ。歴史や伝統文化、日本人の底流にずっと流れ続けているものは変わらない。
変わらないもの、古代いにしえの息吹というものを生涯感じ続けることに、生命の強さがあるのかもしれない。

安田靫彦は、源義経、楠公などの作品も多く描いている。
詩吟の中でも同じような題材を見つけることができる。

義経であれば、梁川星巌「常盤孤を抱けるの図に題す」、松口月城「五条橋」、楠公であれば、徳川斉昭「大楠公」、頼山陽「湊川懐古」、本宮三香「小楠公の母を詠ず」など思い浮かべる。

詩吟の世界も日本画の世界も、古(いにしえ)の息吹が吹き込まれたもの、日本人が大事にしてきたものを後世に伝え続けていくことに意味があるのだと、改めて思う。