長恨歌「七夕の誓い」

「長恨歌」研修会の続きです。






長恨歌の最後に、「七夕の誓い」の場面があります。七夕の夜、玄宗と楊貴妃が、牽牛と織姫になぞらえて愛の誓いのささやきを交わしたというものです。
しかし、その誓いは果たされることはありませんでした。
「長恨歌」の後半は、天上界の人になってしまった楊貴妃の魂魄を探し求めるところから始まります。




では、後半75句目からみていきます。


臨邛道士鴻都客  臨邛の道士 鴻都の客
能以精誠致魂魄  能く精誠を以て魂魄を致す
為感君王輾轉思  君王 展転の思を感ずるが為に
遂教方士慇懃覓  遂に方士をして 慇懃に 覓めしむ



臨邛出身で都に来ている道士が、楊貴妃を想い続ける玄宗に心動かされました。そこで、弟子の方士に命じて、楊貴妃の魂魄を探させます。



排空馭氣奔如電  空を排し気に馭し 奔ること電の如く
升天入地求之遍  天に昇り地に入り 之を求むる遍し
上窮碧落下黃泉  上は碧落を窮め 下は黄泉
兩處茫茫皆不見  両処茫茫
 
皆見えず



方士は、空をひらき気に乗って稲妻のように走り、天に上り地にもぐりあまねく探し求めました。全てを探し尽くしましたが、広々と果てしなく、求める人は見つかりません。


忽聞海上有仙山  忽ち聞く 海上に 仙山有り
山在虛無縹緲閒  山は 虚無 縹緲の閒に在り
樓閣玲瓏五雲起  楼閣 玲瓏として 五雲  起こり
其中綽約多仙子  其の中 綽約 仙子 多し
中有一人字太真  中に一人の太真と字する有り
雪膚花貌參差是  雪膚 花貌 参差として是なり



すると突如耳にした海上に仙人が住む山があり、その中に「太真」という名前のものがいるとのこと。雪のように白い肌、花のように美しいかんばせは、まさしく楊貴妃のことでした。
生きていた頃よりも美しく、仙女らしい純潔さをともなって描かれています。
方士は、楊貴妃に会いにいきます。



さて、次はいよいよ楊貴妃が登場する場面です。



金闕西廂叩玉扃  金闕の西廂に 玉扃を叩き
轉教小玉報雙成  転た小玉をして 雙成に報ぜ教む
聞道漢家天子使  聞道く 漢家 天子の使なりと
九華帳裏夢魂驚  九華帳裏 夢魂驚く
攬衣推枕起徘徊  衣を攬り 枕を推し 起って徘徊す
珠箔銀瓶邐迤開  珠箔 銀瓶 邐迤として開く
雲鬢半偏新睡覺  雲鬢 半ば偏りて 新たに睡より覚め
花冠不整下堂來  花冠 整はず 堂を下りて来る
風吹仙袂飄飄舉  風は仙袂を吹いて 飄飄として挙がり
猶似霓裳羽衣舞  猶ほ霓裳羽衣の舞に似たり
玉容寂寞淚闌干  玉容寂寞として 涙 闌干たり
梨花一枝春帶雨  梨花一枝 春 雨を帯ぶ
含情凝睇謝君王  情を含み 睇を凝らして 君王に謝す

楊貴妃は、天子の使いだと聞いて、はっと驚いて目覚めました。衣をとり、枕を押しのけ、起きて歩き回ったかと思うと、真珠の簾と銀の屏風を次々と開き、方士のいるところに向かいました。
豊かな髪、半ば乱れたまま、眠りから覚めたばかりで、冠も整えず下りてきました。
美しい顔に涙がはらはらと流れるその風情は、白い梨の花が春の雨を帯びているかのようでした。

楊貴妃は方士をみつめ、玄宗への挨拶を述べます。

一別音容兩渺茫  一別音容 両ながら渺茫
昭陽殿裏恩愛絶  昭陽殿裏 恩愛絶え
蓬萊宮中日月長  蓬萊宮中 日月長し
回頭下望人寰處  頭を回らして 下人寰を望む処
不見長安見塵霧  長安を見ず 塵霧を見る
惟將舊物表深情  惟だ旧物を將って 深情を表し
鈿合金釵寄將去  鈿合 金釵 寄せ將ち去らしむ
釵留一股合一扇  釵は一股を留め 合は一扇
釵擘黃金合分鈿  釵は黄金を擘き 合は鈿を分かつ
但教心似金鈿堅  但だ 心をして 金鈿の堅きに似せ教めば
天上人間會相見  天上 人間 会ず相見ん
臨別慇懃重寄詞  別れに臨んで 慇懃重ねて を寄す
詞中有誓兩心知  詞中誓有り 両心知る



ここは、楊貴妃が長恨歌の中で唯一話す場面です。
「お別れしてからお声もお姿も遠いものとなってしまいました。
 昭陽殿で賜ったご寵愛を受けることができなくなり、
 蓬莱宮で長い歳月を過ごしてまいりました。
 振り返って、下界の人間世界を見つめてみましても、
 長安は見えず、ただ塵と霧が見えるだけでございます。
 昔の持ち物で私の思いをお伝えするしかございません。
 螺鈿の香の盒と金のかんざしをお持ちください。
 かんざしは、片方のあしを、香の盒は片一方を残します。
 かんざしは二つに裂き、香の盒は蓋と離しましょう。
 二人の心が、かんざしと盒のように、
 堅く永遠に変わることがなければ、
 天上あるいは人間界でもきっとお会いできるでしょう。」


楊貴妃は、別れ際に、自分が楊貴妃本人であることの証拠の品とともに、玄宗への伝言を方士に託しました。その伝言の中には、二人の心のみが知る誓いの言葉がありました。
それは、七月七日の夜、長生殿で玄宗と楊貴妃が二人だけで誓い合った言葉でした。


七月七日長生殿  七月七日 長生殿
夜半無人私語時  夜半 人無く 私語の時
在天願作比翼鳥  天に在っては 願はくば比翼の鳥と作らん
在地願為連理枝  地に在っては 願はくば連理の枝と為らん

「天上では、比翼の鳥(翼を重ねて飛ぶ二羽の鳥)となりましょう、地上では、連理の枝(幹と根が別でも枝が合わさる二本の木)になりましょう」

天長地久有時盡  天長く 地久しきも 時有って尽く
此恨綿綿無期  此の恨みは 綿綿として 絶ゆる期無し


『長恨歌序』(作者不詳)によると、方士から伝言を聞いた玄宗が「彼女に間違いない」と泣いて絶句したといいいます。
楊貴妃は仙女であり、この世の人ではない。七夕の誓いを果たすことはできないのだとはっきりとわかったのです。
結句句は、玄宗の悲傷と、それに深く共感する白居易の詠嘆が詠まれています。


長生殿は、秦の始皇帝の兵馬俑が発掘された陵墓付近にそびえる山の麓にあった離宮です。

七夕の夜、玄宗と楊貴妃は天の川を眺めながら誓いあったのですが、なぜ七夕だったのでしょう。





月岡芳年 牽牛と織姫



当時中国では、七夕伝説は広く伝えられていました。七夕の夜は、牽牛と織姫が年に一度逢う時であり、その七夕のめぐり逢いにあやかり、誓い合ったとされます。
古い資料を紐解くと、後漢の「四民月令」に七夕の習俗が載っており、中国の様々な土地で地域によって違いはあるものの、牽牛と織姫の説話が語られていたようです。

ちなみに日本では、七夕の習俗は、古くから、旧七月に祖霊祭が行われていました。短冊や色紙に、歌や願い事を書いて、笹にとりつけます。そして、キュウリ、ナスなど、畑でとれたものを6日に飾り付け、7日に近くの川や海に流すというもので、地域によっては「七夕送り」として根付いていました。牽牛と織姫の伝説が受け入れられやすい素地があったのだと思います。


七夕祭「絵本小倉錦」


中国由来の牽牛と織姫の七夕伝説は、「長恨歌」のような物語を通して、平安朝の貴族層へと、そして次第に民間へと普及していったのです。

「長恨歌」は、星の世界を牽牛と織姫を、人の世界を玄宗と楊貴妃を登場させ、宿命として持つ愛と生を描いたものでした。「長恨歌」を読んでみると、七夕の夜は格別な思いを抱くことになるかもしれません。