「中国四大美人」 西施・王昭君・虞美人・楊貴妃

10月30日(日)の全国詩吟大会での企画構成吟「古代中国四大美人を詠ず」について紹介します。



中国史の中で四大美人とは、
・「沈魚美人」=春秋時代の西施(せいし)
・「落雁美人」=前漢の王昭君(おうしょうくん)
・「閉月美人」=後漢の貂蝉(ちょうせん)
・「羞花美人」=唐の楊貴妃
この四人の伝説的な美女を指すようです。
ただし、貂蝉は実在の人物ではありません。
そのため、楚の虞美人が入ることがあります。
虞美人は、詩吟の中でも人気のある項羽「垓下の歌」で詠われていますので、この企画では、王昭君、西施、虞美人、楊貴妃の四人を取り上げました。美人であるが故に、そして悲劇的な運命を辿ったために、今日まで多くの詩や文学の題材となってきました。それぞれが生きた時代は異なりますが、時代に翻弄され政争の具となるも自身の運命として毅然と受け入れた女性たちではないかと思います。



〇王昭君とは
前漢時代の女性。字は晃君。後世には晃君、明妃とも呼ばれます。元帝の後宮に仕えていましたが、紀元前三三年、匈奴との和親政策のため、後宮の中から選ばれた王昭君が、匈奴の王・呼韓邪単于に嫁ぐことになりました。呼韓邪単于の死後は、慣例によりその子の妻となりました。その地で、息子や娘を生み育て、匈奴の地で没しました。王昭君が匈奴に嫁いで後の約六十年間、漢と匈奴の争いは止み、辺境に平和が保たれたそうです。


「王昭君」鶴沢探真

〇西施とは
春秋時代末、浙江省苧夢村で薪売りの娘として生まれました。名は施夷光。越王勾践が、仇敵である呉王夫差が好色であることを知り、復讐のための策謀として、西施を差し向けました。西施は、谷川で洗濯をしていたところを見出されたと言われています。越王の策略通り、西施を迎えた呉王は政治を怠り、越に滅ぼされました。その後、西施は国を滅ぼした女性として殺害されたと伝えられています。




※追記 11月3日~12月18日開催の「円山応挙展」で、西施が描かれた日本画「西施浣紗図」を観ることができました。江戸時代(1773年)に描かれたもので、個人蔵のため、今まで観たことがなかったものです。http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=viewphoto&id=883&c=2



〇虞美人とは
秦の時代末の女性。楚王項羽の寵姫。記録は「史記」のくだりが全てで、生没年など不明です。項羽が漢の劉邦と天下を争った垓下の戦いで、項羽は「虞や虞や若を奈何せん」と詠みました。後世の民間説話では、虞美人はその地で自害したとされ、虞美人草の伝説が生まれました。




〇楊貴妃とは
唐の時代、玄宗皇帝の寵姫。名は楊玉環。初めは玄宗の子寿王の妃でしたが、後に玄宗に召され,貴妃の称号を与えられました。歌舞音曲に通じ、玄宗の寵愛を一身に受けました。安禄山の乱が起き、長安を逃れる途中、一族の楊国忠とともに落命しました。







「王昭君」の企画吟

今大会での企画構成吟は、四人の女性たちの生き方と思いを梅の会、竹の会、花の会それぞれが詩吟で表現するというものです。

王昭君の物語は、まず「明妃曲」の吟詠から始まります。
皇帝の後宮に仕えていた王昭君が、都から万里も離れた返塞の地、匈奴の国の王に嫁ぐことになったという情景が詩文から思い浮かびます。
では、なぜ王昭君が匈奴の王に嫁ぐことになったのでしょうか。一番知られている伝説を紹介します。

漢の皇帝・元帝の後宮には何千人という宮女がいて、絵師たちに似顔絵を描かせ、その中から気に入った女性を選んでいました。毛延寿という絵師は、宮女たちから賄賂をもらってその似顔絵を美しく描いていたのですが、王昭君は賄賂を渡さなかったため、毛延寿はわざと王昭君を醜く描きました。そのため、匈奴の王が漢王朝の女性を妻に迎えたいと申し出たとき、元帝は似顔絵の中から一番醜い女性を選びました。それが王昭君だったという話です。


もちろん、この伝説は、後世、色々な人によって脚色されたものです。
歴史的事実の検証は後に回すことにして、この物語の中で最も注目される箇所は、王昭君出塞の場面だと思います。
王昭君を描いた数々の画の中でも、江戸時代に久隅守景によって描かれた「王昭君出塞図」が有名です。





王昭君が旅立つ日、元帝ははじめてこの肖像画に描かれたのが美しい王昭君だと知り、王昭君を匈奴の王に嫁がせることを悔やんだと伝えられています。

では、王昭君自身は、旅立つ日、どのような思いだったのでしょうか。色々な考察がありますが、王昭君が実際に書いた詩である「怨詩」を詠むことで彼女の気持ちを推し量ることができればと思います。






怨詩  王昭君


秋木萋萋 其葉萎黄
有鳥處山 集于苞桑
養育毛羽 形容生光
既得升雲 上遊曲房
離宮絶曠 身體摧藏
志念抑沈 不得頡頏
雖得委食 心有徊徨
我獨伊何 來往變常
翩翩之燕 遠集西羌
高山峨峨 河水泱泱
父兮母兮 道里悠長
嗚呼哀哉 憂心惻傷





前半部分は、後宮の中でずっと一生過ごすことに沈鬱している心境が詠まれています。
後半部分、自分を鳥になぞらえ、遥か遠くの異国の地に飛び立つことになったと書いています。籠の中の鳥でいるよりは自由に外に出ることを望んでいたのではないかという解釈もできますが、それでも、父と母ともう二度と会えないかと思うと、「憂心惻傷」、つまり心がはりさけそうだという気持ちが表れています。心から別れを悲しんでいる、そんな詩だと思います。

企画構成吟の中で、この「怨詩」の感情を上手く表現してくれることになったのは、藤が丘教室に通う中国人留学生の李元君です。李元君は、中国漢詩朗読高校大会優勝という経歴の持ち主です。抑揚のある素晴らしい発声で、本番も朗読をしてくれることになりました。
また、同じく藤が丘教室には、画家の方がいますので、
王昭君の似顔絵を実際に描き、その似顔絵をモチーフにした王昭君の物語をわかりやすく脚本化し舞台で演じてくれることになりました。



【藤が丘教室の練習風景】





【藤が丘教室のご案内】

場所:横浜市ユートピア青葉
(東急田園都市線藤が駅)  
練習日:日曜日・火曜日