京都~伝統とルネサンス~

10月8日(土)、京都吼風会創立四十五周年記念吟詠大会に行ってきました。
会場は、京都御所の向かいにある京都ガーデンパレスです。




京都御所

事前に送っていただいたプログラムの会場案内図を頼りに、
朝7時東京発の新幹線に乗り、会場を目指しました。
プログラムの表紙は京都らしい上質な和紙。
表紙を捲ると、京のわらべ唄「南北の歌」と「東西の歌」が目に
飛び込んできました。通りの名前を覚えるための数え歌です。
このようなわらべ唄もまた代々受け継がれてきたのだと思います。
伝統を大事にする気風のようなもの。
京都の町の中で、そして今回の大会の中で感じました。


若い方たちも多く舞台に立っていたことが印象的でした。
小学生、中学生、高校生の堂々とした吟。凛とした透明感溢れる声。
詩吟に取り組むひたむきさが伝わってきます。
親から子へ、子から孫へ。世代を超えて詩吟が受け継がれています。




男性の和装姿も見応えがあり、京都らしさ溢れる企画の数々です。
構成吟は「桜井駅址をたずねて」と「頼山陽 母を思う」。
桜井史蹟の写真を追いながら、また、吼風会会報に掲載されていた「楠氏一族の興亡」を読みました。日本史への興味が掻き立てられる内容です。
「頼山陽 母を思う」では、山陽が京都と広島の往来を詠んだ「侍輿歌」と「母を送る路上の短歌」の二詩を聴きました。
「侍輿歌」を父に習ったとき、父が吟じながら泣いていたことを思い出しました。この詩を吟じるとき、母親のことを思う気持ちが溢れ出てきてしまうのだと私に話してくれました。
構成吟の吟詠を聴きながら、詩吟は、心に共振するものだということを改めて感じました。
会長先生をはじめ各先生方の吟詠、東海連合会の先生方の吟詠を聴き、吟者とは詩心の表現者であるのだと、学ぶことができました。

➡ 京都吼風会のHP  http://www.shigin.org/



大会の翌日。
私が訪れたのは10月でしたが、秋の京都は非常に混んでいました。
それでも、東京に帰る前に、一度訪れたかった伏見稲荷に行ってきました。


伏見稲荷は「外国人に人気の観光スポット日本国内3年連続第1位」です。
混んでいるときは千本鳥居をくぐるのにも列をなしてしまうそうですが、
午前中の早い時間は比較的空いていました。

千本鳥居


そしてもう一つ、この日京都で行きたかったところは細見美術館です。
ちょうど「京の琳派ー美を愉しむー」が開催されていました。

京都と言えば、京都を舞台として、京の上層町人を中心に公家や武家を巻き込みながら生み出された琳派。
江戸時代、京都で活躍した俵屋宗達、尾形光琳といった作家や作品を核として系統立てられました。俵屋宗達に傾倒し、挑み、乗り越えようとした尾形光琳がいて、その尾形光琳に傾倒し、挑み、乗り越えようとした酒井抱一がいます。宗達、光琳、抱一のつながりは、100年以上も離れ、それぞれ時は断絶していても、一つの流派のように受け継がれてきた気風があります。

近代の日本が、西洋の文化と対峙する中でも「日本文化」というアイデンティティが守られ、その中で脈々と琳派という伝統が受け継がれてきたのだと思います。

明治時代、京都で琳派ルネサンスを目指した神坂雪佳もまたその功績が知られています。
細見美術館で、念願の神坂雪佳の作品を間近に観ることができました。

伝統の中に新しさも吹き込み、再生をめざす。
前向きなものというのは、観る人に力を与えてくれます。
詩吟も同じだと思います。

京都で出会うことができた人々、詩吟、作品、風景。余韻を楽しみながら、ふと「詩吟ルネサンス」という言葉を思い浮かべ、明日からまた前向きに詩吟を頑張ろう・・と京都を後にしました。



神坂雪佳「四季草花図屏風」
引用:wikipedia