秋季全国詩吟大会 特別企画「日本の名詩」

日時  平成29年11月3日(祝)
場所  有楽町よみうりホール



ご挨拶
全日本詩吟道連盟理事長
詩吟神風流総元
    岩 淵  神 風
  
 錦秋の候、恒例の全国詩吟大会が有楽町読売ホールで開催できますことは大変嬉しく、大会準備のために御尽力いただきました役員の皆様、ご参加いただきました多くの会員の皆様に厚く御礼申し上げます。
 神風流は長い歴史を誇る流派であります。その過程において、流派の優れた吟譜が生まれ、特に長詩においては、神風流の秘曲とも言うべき素晴らしい節調が付けられました。これらは、一朝一夕に出来上がったものでなく、長期間の苦心の成果であります。心の機微、詩文の持つ叙情感、詩心を第一義的に考慮した旋律であります。
今大会では、各会が、長詩の真髄に迫るべく練習を積んで参りました。特別企画「日本の名詩」では、「後本能寺」「石童丸」「小楠公」「白虎隊」の長詩を謳い上げますので、漢詩の深い世界をより感じていただけるものと思います。
 詩吟を学ぶことは人の心を学ぶことであります。精神的な豊かさ、発声による健康成就をもたらしてくれます。詩吟を通して、多くの皆様が生き甲斐のある人生を享受されますことを願っております。(大会プログラムより)
   

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特別企画「日本の名詩」

 今大会では、日本の文化の源泉を詩吟で辿るべく「日本の名詩」というテーマで編んでみました。
 千数百年の歴史の中で、日本人は和歌を詠み、漢詩を作ってきました。日本らしさというのもまた、日本語という固有の言葉で表現され、現代に伝わっています。詩の中の言葉には、自然や美を尊ぶ感性、人生の哲学、国のあるべき姿が映し出されています。日本の詩心に迫り、一つ一つの言葉に丁寧に向き合いたいと考えております。それはまた今を生きる私たちに贈られている言葉なのだと思います。
 今回の企画では、詩吟を知らない方にも詩吟の世界を身近にわかりやすく感じていただけるように、プログラムに詩文と解説文を掲載致しました。



【プログラム概要】
 プログラムの表紙は「凱風快晴」(葛飾北斎)です。実は、太田記念美術館で開催されていた「葛飾北斎 冨嶽三十六景 奇想のカラクリ」にて「凱風快晴」を鑑賞してきたのですが、葛飾北斎の富士山への感動と喜びが伝わってくるような気持ちになりました。神聖で荘厳な富士山への畏敬の念は、詩吟にも詠まれています。
 大会の始まりは、勿論「富士山」(石川丈山)の大合吟からです。



日本の名詩(1)「乱世に生きる」


「本能寺」(頼山陽) 

 戦国時代に名を残した織田信長。本能寺の変が起こったのは、天正10年6月2日深夜のことでした。日本の歴史上、あまりに有名な本能寺の変を題材とした詩吟と言えば、頼山陽の「本能寺」です。詩文の中に「老坂西に去れば備中の道 鞭を揚げて東を指せば 天猶お早し 吾が敵は正に本能寺に在り」とあります。西国との分かれ道に至るまで、明智光秀の視点で詠まれています。
 吟詠は、京都吼風会です



「後本能寺」(逸名) 

 本能寺の変で、信長は無念の死を遂げました。最期まで主君である信長の傍を離れず、守り通した森蘭丸は、18才という若さで殉じました。森蘭丸の父は、槍の名手として名の知られた武将でしたが、蘭丸についての戦の記録はあまりありません。しかし、人間的な部分で信長からの信頼は厚かったと伝えられています。蘭丸を詠じた詩吟と言えば「後本能寺」であり、22行からなる長詩です。「急に聞く 轟轟 戦鼓の声 攻撃 四面 山崩るが如し 叛く者は誰ぞ 賊 光秀 謀逆攻め来る 百万の兵」という詩文の箇所は、神風流らしい気迫のある節付けです。 
 吟詠は、総本部松の会です。


日本の名詩(2)「里を訪ねて」

企画構成吟「良寛和尚」

 新潟県長岡を過ぎ、日本海に近い所に、国上山という山があります。この山の中腹にある五合庵は、良寛が20年ほどの時を過ごしたゆかりの地として知られています。
 良寛は、自然を愛し、子どもたちと遊び、語らい、数々の漢詩、和歌、俳句を生み出しました。また、「和顔愛語」という言葉にあるように、良寛は笑顔と優しい言葉で人々を慈しんだといいます。

 良寛作「五合庵」「草庵雪夜の作」和歌「霞立つ」「子どもらとの詩舞は、新潟県劔豪会、吟詠は新潟県松悠会柏新吟詠会越南吟詠会です。



 続いて、良寛作「半夜」の吟詠は、松風会会長荘田神荘先生です。

 一節に「人間の是非は一夢の中」という言葉があります。
 良寛は草庵にて、淋しく降りそそぐ雨の音を聴きながら一人坐し、自分の人生を思い返すのですが、どのような思いを抱いたのでしょうか。「人間の是非は一夢の中」(世の中には是も非もなく、善も悪もない)・・吟詠を聴きながら、無垢に生きた良寛の心情に思いを馳せました。


吟詠と舞「石童丸」(松口月城)

 高野山「苅萱堂」に伝わる石童丸の物語。幼い石童丸が、仏門に入った父を探しに女人禁制の高野山に入ります。「無明の橋畔 僧侶に遇う 右手に花桶 左に珠数 慇懃 肩を撫で 情 殊に探し 此僧 或は是れ吾が父なる莫らんや」父と子は、巡り合うも、父の苅萱は名乗ることができませんでした。「嗟 仏道是か 恩愛 非か 熱涙 滂沱として 法衣に落つ」涙をのんで子と別れなければならない父の心情とは、如何なるものなのでしょうか。この物語は、謡曲や歌舞伎などでもよく知られています。詩吟は24行の長詩です。
 吟詠は、総本部梅の会です。

「石童丸」 総本部梅の会 


日本の名詩(3)「日本人に語り継がれてきた忠義の心」

 詩吟でも有名な楠木正成・正行親子を詠んだ名詩を集めました。親子二代にわたり遺された忠義の心は、近年、再評価され始めているようです。この機会に、詩吟を通して日本人の心を見つめ直してみたいと思います。

書道吟「大楠公」(河野天籟)
 吟詠 福吟会(新潟県長岡市) 

 朗々と吟じられる「大楠公」。律詩ですから8行にわたる詩の中の言葉に合わせて、松川会長の筆が力強く動きます。筆の動きが詩吟のリズムとが見事に合致しているところも見所でありました。



書道吟 福吟会 


「大楠公」(徳川斉昭)

 徳川斉昭作の「大楠公」は4行からなる絶句です。有名な句「豹は死して皮を留む」から始まります。楠木正成は後醍醐天皇の挙兵に真っ先に駆け付け、時の鎌倉幕府の悪政打倒に立ち向かいました。その忠義の心は、現代まで語り継がれています。
 吟詠は、堯風会です。

「大楠公」 堯風会


「題楠公訣子図」(頼山陽)
 
 死を覚悟した楠木正成が、湊川の決戦に赴くとき、桜井の駅に我が子正行を呼び寄せました。正成と正行親子の別れる場面は、唱歌「桜井の別れ」でも有名です。
 吟詠は、私も所属する総本部教室です。
 男性と女性との混声はなかなか難しいのですが、今回は5本で合わせました。テープをまだ聴いていないのですが、男性と女性と分かれた並び方での吟詠は果たしてどうだったのか・・。

「題楠公訣子図」 総本部教室


「小楠公」(元田東野) 
 
 「桜井の別れ」からおよそ10年ぐらい経ちました。湊川の戦いで戦死した父・楠木正成の遺志を継いで、正行も朝廷に尽くしました。父と同じく絶対に勝てないとわかっていても、一族郎党僅かの兵を率いて足利尊氏を討たんとしましたが、四条畷手の戦いに敗れ自害しました。
 次のような和歌を詠んでいます。「かへらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」生きて帰ってくることができないのはわかっているが、ここに我らの名を書きとめておこう)
 18行の長詩「小楠公」と和歌「かへらじと」の吟詠は、総本部竹の会です。

「小楠公」 総本部竹の会


日本の名詩(4)「祝いの席で」

お祝いの席で吟じられる詩吟を集めました。

「富士山」(柴野栗山)如水朗誦会






「逸題」(乃木希典)  岳風会




「祝賀詞」(河野天籟) 神笙会






 独吟は、富山県の藤田神米先生による「松竹梅」(松口月城)です。
「松竹梅」の吟にふさわしく、幸福と喜びを会場一杯に行き渡らせてくれるような朗々とした吟詠でした。


日本の名詩(5)「どこまでも美しく」

 日本は四季折々に美しい姿を見せてくれますが、今回は琵琶湖の美しい風景を詠んだ詩を2題選びました。

「題近江八景図」(大江敬香) 永伊会



「琵琶湖上作」(室鳩巣) 如水朗誦会の合連吟


 特別企画として構成した「日本の名詩」も愈々佳境に入ってきました。美しいのは、日本の風景だけではありません。後半は、日本人の心の美しさを詠んだ詩が続きます。



企画構成吟「どこまでも美しく ~平泉に残る麗しき人情~」 皇龍吟風会

唱歌「牛若丸」
民謡「相川音頭」(踊り入)
和歌「静御前」
語り「安宅の関」(小松神擁)
詩吟「平泉懐古」(大槻盤渓)

 幼い牛若丸と弁慶の出会いから物語は始まります。



 義経に転機が訪れたのは、兄・頼朝の挙兵でした。義経は源氏の旗揚げに馳せ参じ、一の谷の合戦で勝利に導きます。屋島、壇ノ浦・・源平合戦で義経は活躍し、平家打倒の功労者となりました。しかし、鎌倉の陰謀により、義経討伐の命令が出されたのです。


 追われる事になった義経は、京を立ち、西国に逃れるつもりでしたが、嵐のため、吉野山に潜伏します。ここで最愛の静御前との別れを迎えます。




 義経一行は奥州平泉に向かいますが、北陸の安宅の関にやってきました。この関所を通り抜けようとする場面は有名ですが、この場面が、よみうりホールの舞台で再現されました。






 奥州平泉に落ち延びた義経ですが、秀衡の死後、泰衡は義経を討つ決意をし、衣川の館の義経を襲いました。義経を守るべく、弁慶は最後まで奮戦したのでした。


弁慶立往生



 舞台袖から見た弁慶。義経のために命を懸けた弁慶の心情が伝わってきます。



日本の名詩(6)「勝てば官軍負くれば賊臣」

 今年は徳川幕府が朝廷に政権を返上した大政奉還から150年にあたります。
 徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜は、幕府が朝廷に大政奉還しても、幕府に統治を任せるだろうとみていました。しかし、薩摩・長州藩などが王政復古の大号令で新政府を樹立し、新政府軍は鳥羽伏見の戦いで幕府軍を打ち破りました。この戦いで、慶喜は味方の兵士を残して江戸まで逃げ帰りました。「錦の御旗」を掲げた新政府軍と戦うことを避けるためだったと言われています。
 幕末から明治という時代の流れの中で、徳川家に対する忠義を尽くした会津藩。「賊」の汚名を着せられるも、命懸けで戦い、殉じた白虎隊の悲劇はあまりに有名です。
 今回、白虎隊の少年たちの純粋な心を琵琶唄を交えて表現しました。(ちなみに、琵琶唄については、彼此1年程、琵琶「白虎隊」を練習中です。)

「白虎隊」(佐原盛純)

 吟詠は、私も所属する総本部花の会です。
 剣は、神剣心刀流宗家金子神剣先生と社中の皆様です。






 戊辰の役から10年。鹿児島にもまだ武士がいました。
 官軍側だった薩摩の西郷隆盛ですが、旧士族の惨状に触れるにつれ、明治新政府の施政に憤りを感じ、反旗を翻したのです。この西南の役は、明治初期に起こった最大規模の士族の反乱でした。西郷隆盛は、民のため、国のため、己の生き方を信じ、命を懸けました。

 「渡三山」(逸名)

「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉が有名ですが、詩文は「勝てば官軍、負くれば賊臣」から始まります。激戦地となった田原坂に奮戦する薩摩隼人の姿が詠まれています。
 吟詠は、静風会です。





おわりに
 先人によって紡がれた詩と心を後世に伝えていきたいという思いから、このような企画となりました。昔も今も、その土地、その時代に人々は生きています。詩吟で吟じてみると、そうした昔の人々の思いや生き様が、より心に伝わってくるような気がします。日本人の情感、清廉な心や気高さ、全力で生き抜いた人生をどこまでも美しいものとして、心に留め、後世においても忘れられることなく、これからも吟じ継がれていくことを願います。
 
 全ての演目が終わったのは19時頃でした。最後は舞台上で恒例の記念撮影をしました。 
 長時間にわたる一日となりましたが、ご参加いただきました方々、特に、早朝の準備から最後の撤収まで、役員および関係者の皆様方には、心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました。

終了時刻 19時