インターネット番組で詩吟を紹介する(2)

 11月8日、作詞・作曲家の水木翔子先生がパーソナリティーをつとめる『ミナキーの洒落と歌の日々』のゲストに呼んでいただきました。

http://www.ustream.tv/recorded/109641690 (11月8日放送分 ※視聴期間1か月)

 番組では、11月3日の全国詩吟大会についてのお話から。
 水木先生は、よみうりホールの会場にまで足を運んでくださいました。その前にも何度か詩吟の大会にいらしてくださり、ブログでも紹介してくださっています。

全国詩吟大会の紹介



 全国詩吟大会は「日本の名詩」というテーマでしたので、日本の詩吟にどのようなものがあるのかというお話をさせていただきました。


特別企画「日本の名詩」の紹介

 「富士山」や「白虎隊」が有名ですが、歴史物や伝説・物語など様々な題材が詩吟になっています。そのような題材は大概長いです!!例えば、「石童丸」。歌舞伎や謡曲では知られているけれども、なかなか詩吟では吟じられていないのではと思います。 神風流は、20行以上もある長詩にも節付けがされているので、「石童丸」をはじめ、物語も結構楽しむことができます。


長詩の紹介

 番組には「生歌コーナー」というのがあるのですが、その直前に紹介されたリスナーさんのお便りがとても興味深いものでした。
 「死と隣り合わせに生きている武士は、自分の志を自分の言葉として詩を詠み、後世に託していたのではないでしょうか」というような内容だったと思います。
 偶然にも、私がこの日、紹介したかった詩吟は、藤田小四郎の「従軍作」でした。(事前に打合せしたわけでなく、当日、番組に臨むというスタイルです!)
 なぜ藤田小四郎の詩吟を選んだかというと、朝井まかてさんの小説「恋歌」に心動かされたからです。
「恋歌」を読むと、尊王攘夷の魁となった水戸藩がなぜ悲劇的末路を辿ったのかということがわかります。
主人公は、樋口一葉の師・中島歌子で、水戸藩の藩士に嫁ぎました。歌子の目線で、水戸藩の人たちのことが描かれています。水戸藩は内部抗争の様相を呈し、有能な人材が露と消えてしまいました。

かねてより思い染めにし言の葉を 今日大君に告げてうれしき

 
 藤田小四郎の有名な辞世の句です。
 
 そしてもう一つ、藤田小四郎が最後に詠んだ句がありました。小説の最後の場面に出てきますが、これは本当に胸が詰まります。
  
さく梅は風にはかなく散るとても  にほひは君が袖にうつして



 藤田小四郎は反旗を翻し、天狗党の乱の首謀者として「賊徒」になってしまったけれども、民を思い世を正そうと立ち上がったのだと書いてありました。






「桜田門以降、我等は思い知らされたではないか。誰かをお討ち申しても、神州日本を欧米列強から守る道筋には全く届かなかった。むしろ政情の不安を掻き立て、民百姓が安んじて生きられる世を遠のかせたやかも知れぬ。この国のために我等は何をせねばならぬのか。」


「恋歌」の一節を朗読してからの詩吟「従軍作」となりました!

 歴史の中の人々、名を残せなかったであろう人々の犠牲の上に今があるとすれば、詩吟を通して、その言葉をこれからも伝えていこうと思います。