インターネット番組で詩吟を紹介する(3)

 5月16日(水)放送インターネットTV歌番組「ミナキーの洒落と歌の日々」にゲストで出演させていただきました。パーソナリティは、ミナキーこと水木翔子先生(作詞・作曲家・歌手、ヴォーカルトレーナー、日本音楽著作権協会正会員、日本作曲家協会会員)、尺八伴奏は大野邦童先生。





 番組のテーマは、西郷隆盛です。

 詩吟では馴染み深い西郷隆盛ですが、どのような人物なのかは、なかなかわかりにくいところがあります。高校生に日本史を教えていた時、「歴史上の人物」として西郷隆盛を扱いましたが、授業の数時間だけでは語り尽くせず、とても苦労しました。
 今回、番組で西郷さんの人柄を端的にあらわすならば・・と色々考えましたが、西郷さんの名言「耐雪梅花麗 経霜楓葉丹」を紹介したいと思いました。
 この言葉は有名ですが、西郷さんの甥の市来政直が海外に留学するときに贈った漢詩「知天意」の中にあります。





 人生は何が起きるかわからないけれども、辛いとき困難なときでも、その試練を乗り超えてこそ「成長」できると解釈できます。ここで言う「成長」とは、もう一つ、他人の痛みや苦しみもわかるようになるという意味もあると思います。自分と同じような痛みや苦しみを持つ人たちの気持ちがわかるようになることもまた人間としての成長です。
 先週のNHK大河ドラマ「西郷どん」では、島津斉彬公の死に続いて月照、橋本佐内と次々と死んでしまう中、一人生き残った西郷さんが島に流された場面でしたが、西郷さんは初めて島の人たちの困窮を知り、理不尽さを目の当たりにします。「おいは何も知らんかった」と、薩摩からの米を周りの者たちに配ります。
 西郷さんが座右の銘とした「敬天愛人」という言葉の原点はこの頃にあると言われています。
 この言葉には、人を慈しみ、愛することの意味が込められていますが、終生「民のために」生きた西郷さんの人柄をみることができます。
 この場面での西郷さんのセリフを林真理子さんの「西郷どん」から引用します。

「天がおいに生きろと言っちょっ。自分で死のうと思うのは、なんと傲慢なことであったか。生死はすべて天が決めている。今、自分が激しく生きたいと思ったのも、すべて天の命じたことなのだ。そして天の下にいる者たち。愛加那、菊次郎、菊草、薩摩の弟妹たち、奄美大島、徳之島の島民たち、凶刃に倒れた若者たち。ああ、なんといとおしいのだろうか。このいとおしさの前では、すべての人間が同じ価値を持つ。天はこのことを自分に教えるために、この狭い過酷な牢獄へと導いたのだ。おいは生きる。そしてすべての人を大切にすっとじゃ。」
 
 天によって生かされる命であるから、まことの道を生きる西郷さんですが、城山での最期となりました。続けて、西道僊作「城山」を吟詠しました。
 
 「城山」は、神風流独特の節調です。「孤軍奮闘 囲みを破って」を「上」の音で引き、そのあとに一定の静寂(=「間」)があります。子供の頃、剣舞を習っていましたが、この「間」は剣士が注目される瞬間です。囲みを破るため、敵を破るために剣をふり「エイ、ヤー、トー」となるわけです。神風流の気迫ある詩吟は剣舞との調和が見事だと思いましたが、残念ながら、現在、神風流の動画(youtube)は見つかりませんでした。かろうじて、当時の自分の写真を掲載します。神風流清泉会の林神林先生に習っていました。


 
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 なお、番組では西郷隆盛関連の演歌(森昌子、三橋美智也)、NHK大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマ曲とエンディング曲も聴くことができます。リンクしたページを掲載します。