平成30年11月3日 神風流全国詩吟大会

日時 平成30年11月3日(祝)午前9時半開演
場所 有楽町よみうりホール 
終了 

多くの皆様にご来場いただきましてどうもありがとうございました。

昨年同様、11月3日に有楽町よみうりホールで詩吟神風流全国詩吟大会を開催しました。

西郷南洲『偶感』 書 松川神饒

ホール入口には、西郷隆盛の漢詩「偶感」を展示しました。
毎年、書道吟ご出演の福吟会会長松川先生による書です。




午後1時 「明治維新150年」をテーマとした合吟・独吟・剣詩舞の企画が始まりました。
タイトルは 「嗚呼!明治」~「江戸」から引き継がれた「遺産」~



プロローグ(プログラム掲載文より)

明治維新によって実現した「明治」という国家。それは、江戸260余年のサムライ精神を引き継いだ「遺産」でもあった。東洋の小さな島国の人々が、欧米列強の圧力にさらされた時、自分たちが生きるその国に必要な仕組みを一生懸命備えようとした。実直で生真面目で「己の力を世の役に立てる」との意識のもと国家建設に没頭した。例えばその一人は西郷隆盛であるが、彼らの強い意志と行動がなければ生まれなかった「明治」という国家について、神風流詩吟の教本を基に構成致しました。

「偶感」 西郷南洲
 合吟 福吟会

幾たびか辛酸を歴て 志始めて堅し
丈夫は玉砕するも 甎全を恥ず
我が家の遺法 人知るや否や
児孫の為に 美田を買わず




西郷隆盛が続きます。

「書懐」 西郷南洲

冒頭は、「人生元長からず 此身豈其れ軽からんや 利を計らば応に天下の利を計るべし 名を求むれば須く万世の名を求むべし」。
後半は、「一葦纔に西すれば大陸に通ず 鴨緑送る処崑崙迎う 秋草漸く老いて馬晨に嘶き 天際雲無く 地茫茫 嗚呼我二十七 将に一生の半を終わらんとす 肺肝其能く何処にか傾けん 感じ来って睥睨す長風の外 月は東洋より西洋を照らす」と結ぶ長詩です。欧米列強の侵略から東洋を守らなければならない、そのためにはまず日本が奮発すべきであるという思いを感じることができます。

吟詠は、総本部梅の会です。


時代は少し遡り、維新
「ペリー来航と開国」

この頃から、尊王攘夷論が台頭してきました。尊王攘夷論を唱えた人物として代表的なのは、藤田東湖です。西郷隆盛の思想形成にも関係しています。「尊王攘夷」という思想は草莽の志士たちに影響を与え、維新の原動力になりました。

「夜坐」 藤田東湖
 合吟 京都吼風会



ペリー来航は、徳川幕府の支配を揺るがすことになり、鎖国は終焉を迎えました。1858年、井伊直弼が大老となり、勅許無しに日米修好通商条約を調印しました。日本にとって不平等であった条約。その条約を勅許無しに調印したことと将軍継嗣問題をめぐり噴出した反対勢力を、井伊直弼が粛清したのが安政の大獄です。安政の大獄は、あまりに多くの有能な人々を死に至らしめました。その中で、吉田松陰、橋本佐内、梅田雲浜の詩吟を取り上げました。

安政の大獄

「辞世」 吉田松陰
 独吟 神邑会  剣詩舞 吟剣詩舞道劔豪会

「獄中作」 橋本佐内
 独吟 涛声会  剣詩舞 吟剣詩舞道劔豪会



「訣別」 梅田雲浜  
 独吟 京都吼風会




桜田門外の変

「絶命詞」 黒沢忠三郎
 独吟 静風会




尊王攘夷から討幕へ

井伊大老が桜田門外で尊王攘夷の志士によって暗殺され、幕府の権威は失墜しました。こうした暗殺事件の多発、長州藩や薩摩藩と西欧諸国との交戦、禁門の変や長州征伐のような幕府と諸藩との紛争など、1868年までの約15年間、多くの動乱が起こりました。
こうした激動の時代、「日本、これを日本に為さんと欲す」と壮語した男がいました。高杉晋作です。

「囚中作」 高杉晋作
 合吟 総本部竹の会



薩長同盟

将に国が傾かんという時、坂本龍馬が立ち上がり、長州と薩摩を和解させるべく奔走しました。それにより、慶応2年、薩長同盟が締結されました。日本が独立を守り、新しい時代を迎えるための「国家」の構想が出来上がったのです。しかし、慶応3年10月の大政奉還からわずか1か月後、龍馬は凶刃に倒れました。

「思坂本龍馬」 河野天藾
 合吟 神耀会


江戸幕府の滅亡

慶応3年12月、明治天皇の名で王政復古の大号令が出されました。
翌年、新政府軍と旧幕府軍は戊辰戦争に突入します。

「日本刀」 大鳥圭介
 合吟 如水朗誦会

幕末から明治維新にかけてのこの動乱を日本刀で切り開いてきたではないか。戊辰戦争を戦い抜き、辛苦に耐えてきた日々の追憶を、幕臣だった大鳥圭介が詩に書いています。




サムライ!西郷

NHK大河ドラマ「西郷どん」でも描かれている西郷隆盛。
詩吟で西郷の人物像に迫ってみました。




「僧月照墓前作」 西郷南洲
 合吟 燈照吟詠会




「獄中有感」 西郷南洲
 合吟 神笙会




「偶感」 西郷南洲
 合吟 岳風会



「偶成」 西郷南洲
 合吟 士友会




明治10年、西南戦争が勃発しました。
「西郷さんは、一点の私心もない。胸中、風月のような度量の人だった。西郷・大久保の両雄が手を握っていたら、明治10年の動乱は防げただろうに・・・」(伊藤博文)


「熊本城」 釈五岳
 合吟 岳風会





「失題」 佐々克堂
 合吟 聖心吟詠会


田原坂合戦の図 国立国会図書館蔵

「城山」 西道僊 
 独吟 神邑会 剣詩舞 吟剣詩舞道劔豪会





近代日本の夜明け

明治政府が対外的にまず取り組んだのは、不平等条約の改正でした。明治4年、岩倉具視を全権大使とする欧米使節団が派遣されました。欧米諸国との差を目の当たりにした彼らは、帰国後、殖産興業と富国強兵に力を入れ、急速に近代化を進めていきます。



左から、木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通。

私も参加している総本部花の会は、木戸孝允の詩吟を選びました。 

「偶成」 木戸孝允  
 合吟 総本部花の会  剣舞 神剣心刀流宗家金子神剣先生社中


詩文の後半部分は、内容によってスクリーンの画像を変えました。


世難多年万骨枯れ 廟堂の風色幾変更

顧みれば、幕末維新に奔走した親友たちはもういない
多年にわたる維新の動乱のために、多くの志士たちが命を失った
新政府も勢力争いによって幾度もその様子が変わってしまった


年は流水の如く 去って返らず
人は草木に似て 春栄を争う


邦家の前賂 容易ならず 三千余万 蒼生を奈せん

国家の前途は容易ならざるものがある
三千余万もの国民(この詩が作られた明治初年の日本の人口)をどうしたものか


明治維新という偉業を成し遂げた木戸孝允ですが、生涯の最後においては病気がちで、明治10年にその生涯を終えました。木戸の念願は、近代国家となるべく憲法を制定することでしたが、その思いは、同じ長州出身の後輩、伊藤博文へと受け継がれました。

明治維新三傑と言われているのが、西郷隆盛、木戸孝允、そして大久保利通でした。その中で、討幕から国家建設まで中心人物としてやり抜いたのは大久保利通でした。日本という後進国を西欧列強に伍していかれるだけの国にするためには・・欧米視察により、大久保はその思いを強固なものとし、殖産興業政策など日本の近代化を堅忍不抜の精神で進めていきました。

「下通州偶成」  大久保利通
 合吟 神玉吟詠会




大久保や木戸とともに欧米を視察し、のちに外交における手腕を発揮したのは伊藤博文でした。

「飲某楼」 伊藤博文
 合吟 永伊会






急速に近代化が進むと、西欧文化の摂取と日本文化の復興との動きが葛藤していきました。
そうした中、時代の波にのみ込まれることなく、一貫して学問の重要性を説き社会を牽引していったのは福沢諭吉でした。
興味深いのは、欧化主義者として捉えられがちな福沢諭吉が、実は日本古来の精神の伝統として「士風」を唱えていたことです。「士風」とは、かつての武士階級が維持していた気風です。明治になり、武士階級が崩壊したとしても、「士風」こそは精神として残っていたのではないか・・そうした気風が一国の独立を支え、文明の基盤となったというのです。
それは、今回の大会の企画のタイトルにもある、「江戸」から引き継がれた「遺産」でもあります。

「偶成」 福沢諭吉
 合吟 日吉槇吟会

この詩は明治28年の書簡に記されたものです。時に、61才。晩年の円熟した人生観が表れています。
日吉槇吟会作成のパワーポイントが凄い!勉強になりました。








明治の思想と文化

「中庸」 元田東野
 合吟 神良会

勇力の男児は 勇力に斃れ
文明の才子は 文明に酔う
君に勧む須らく中庸を択び去くべし
天下の万機は一誠に帰す



元田東野は、明治4年から20年間、明治天皇の侍講を務め、主に「論語」を進講しました。明治天皇の信頼厚く、帝国憲法、皇室典範、教育勅語の草案起草にも加わりました。この詩は、行き過ぎた欧化主義への懸念高まる明治中期の作です。

「失題」 古荘嘉門  
 合吟 神仙吟詠会

才子元来 多く事を過つ
議論畢竟 世に功無し
誰か知らん 黙黙不言の理
山は是れ青青 花は是れ紅なり


古荘嘉門は、肥後の先哲として名声を馳せた人物です。この詩では不言実行の教えを説いています。明治という国家の礎を築いてきた者の気風が表れています。


明治を彩る文人たち

正岡子規、夏目漱石、森鴎外の作品集を総本部松の会が吟じました




明治は遠くなりにけり

企画・語り 皇龍吟風会会長小松先生
「懐雲井龍雄」 谷干城
 合吟 皇龍吟風会


日本はどこへ向かったのか?

明治35年、真冬の八甲田山を踏破するために出発した青森の歩兵第五連隊第二大隊210人のうち199人が死亡。八甲田山雪中行軍遭難事件が起きました。


「噫八甲田山」 逸名
 独吟 堯風会  

風は是れ刀の如く 雪は矢の如し
孤軍破らんと欲す 苦寒の囲み
銀城一夜 将星墜つ
二百の雄魂 呼べども帰らず

そしてこの事件の2年後、日露戦争が勃発しました。

「寄家兄言志」  広瀬武夫
 合吟 神潮会




「逸題」 乃木希典
 合吟 総本部藤が丘


「金州城」 乃木希典  
 合吟 神笑会



「金州城外作」 谷口廻瀾
 総本部教室合吟

私も参加しています。
背景画像1枚目は、乃木希典最期の朝に撮影された写真です。


背景画像2枚目は、金州城の秋の風景(イメージ)。詩文の後半部分を記しました。

金州城外 秋深き処 
坐に憶う 斜陽 馬を立つるの人を

乃木希典の漢詩作品中の「征馬前まず 人語らず 金州城外 斜陽に立つ」を想起しますが、乃木への思いが見事に詠まれています。



「武士の時代を矢に例えれば、名目上は、明治元年で武士の時代は終わったものの、20世紀初頭まではまだ矢は飛び続けていたように思います。その最後の段階で日露戦争が起こった・・・」
司馬遼太郎が『この国のかたち』の中で書いています。江戸から引き継がれたサムライの精神がまだ日露戦争までは残っていました。その「武士的なリアリズム」が日本の危機を打開していったのだと。
「明治は、リアリズムの時代でした。それも、透き通った、格調の高い精神でささえられたリアリズムでした・・・」(司馬遼太郎『明治という国家』)
この「リアリズム」とは、「世のため人のためのリアリズム」です。明治という国家には明治天皇を中心とした中央集権化を行い、近代化を促進し強国にするための「リアリズム」が垣間見られます。明治天皇は1868年10月、江戸城に入城しました。また、97件に及ぶ地方巡幸などもその一環と言えます。


また、明治天皇はその生涯において約9万3千首の御製を詠まれています。
明治天皇御製は総元岩淵神風先生の吟詠です。



よもの海 みなはらからと 思ふ世に
  など波風の たちさわぐらむ

日露戦争の際、御前会議において明治天皇は「よもの海」を詠まれました。「四海皆同胞と思ふ世の中に何うして斯うも波風立ち騒ぎ、争ひごとが起こるのであろう」




日露戦争後、日本は大きく変わっていきました。日露戦争がそれだけ世界的にも影響力が大きかったということなのですが、国内に目を向けてみると、「武士的なリアリズム」が失われていったことに気付きます。そして、日本はどこへ向かっていったのか。
「明治維新150年」をテーマとした企画でしたが、今回は日露戦争までの日本。「黒船」以降、未曾有の危機にさらされる中、それを乗り切り、独立を守るために、力強く坂を駆け上がってきた日本を詩吟で描いてみました。
「明治人が目指したのは坂の上の雲ですから、いくら坂を登っても、それはつかめないということも、司馬さんはわかって書いているのです。登りつめた坂はやがて下りになります。坂の上の雲がつかめないままに坂を下っていくと、下には昭和という恐ろしい泥沼がある。司馬さんは、この書名でそのことを言外に語っていると私は思います。」磯田道史先生の言葉です。司馬遼太郎『坂の上の雲』に込められたメッセージとは?坂の上にある未来とは?詩吟で歴史を振り返ってみると、そのことを新たな視点で考えることができました。
日露戦争後の日本の歴史について今回は盛り込みませんでしたが、明治以降・大正・昭和は、私が自分の授業でも何年もかけて考察してきた部分です。いつか詩吟で構成してみたいと思います。
また、今回「明治維新150年」に注目したものの、同時に「戊辰150年」であることも忘れてはならない視点です。多くの悲劇は詩吟にもなっています。例えば「白虎隊」についてですが、詩吟神風流会津葵邦吟詠会が会津若松市民文化祭行事で「戊辰150年記念発表会」を開催しています。http://aizu150.com/ 
「伝承」としても詩吟の意義を感じます。これからも詩吟を通して「伝えること」「残すこと」を大事にしていきたいと思います。


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【独吟】免状授与者吟詠・総元代範吟詠 


今回の大会では、企画独吟吟詠はコンクール決勝大会出場経験の方たちが出吟しました。力強い吟詠の数々。聴き応えがありました。(神潮会、清謡会、士友会、瑞雲会、神雅会、神都吟詠会、神笙会、京都吼風会、神邑会、涛声会、静風会、堯風会より出吟)




私のところに詩吟を習いに来ている中学生の生徒さんです。吟題は「不識庵機山を撃つの図に題す」。初々しさもあり清らかで凛とした声の響きでした!




小学生の独吟も素晴らしかった!神笙会の生徒さんです。

神風流の詩吟は力強さや明るさがあり、聴く者に元気を与えてくれるパワーがあります。これは、詩吟の発声方法がいいのではないかと思っています。若い人たちにも詩吟を始めてみようと思う人が増えてくれたら嬉しいです。(お笑い芸人の詩吟の方が有名になってしまいましたが、本来の詩吟は全然違うのです‼)



大会の最後は、総元岩淵神風先生と一緒に会場全員で「蒙古来」吟詠。




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【合吟】出吟の神風流各会(順不同)
 
槇詞吟詠会
玉風会
松風会
神優会
神考会
神倩吟詠会
神蜂会
衆芳会
皇龍吟風会
吟警会
神旅会
梅枝会
神都吟詠会
福吟会
京都吼風会
神邑会
涛声会
神耀会
如水朗誦会
燈照吟詠会
神笙会
岳風会
士友会
聖心吟詠会
神玉吟詠会
永伊会
神良会
神仙吟詠会
日吉槇吟会
神潮会
神笑会
堯風会
静風会
墨東吟詠会
千葉吟詠会
清謡会
浦安詩吟会
神崚会
神雅会
総本部藤が丘支部
総本部栄風支部
総本部各教室

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ご挨拶 
全日本詩吟道連盟理事長
詩吟神風流総元
    岩 淵  神 風

 錦秋の候、恒例の全国詩吟大会が此処有楽町読売ホールで開催できますこと大変嬉しく存じます。大会準備のためにご尽力いただきました役員の皆様、ご参加いただきました会員の皆様に厚く御礼申し上げます。詩吟神風流は、長い歴史を誇る流派でありますが、多彩な節調と力強い気魄のある吟に定評があります。詩吟の真髄は、詩人たちの志を表現するところにあり、特に幕末から明治維新にかけて多くの詩吟が生まれました。今年は明治維新百五十年にあたることから、企画において先人たちが築いた時代を振り返ることに致しました。明治、大正、昭和、そして平成が終わろうとしている今日、それらは単なる過去ではなく、詩吟という「遺産」に留めることが我々吟詠家の務めだと考えます。同時に、詩吟の魅力を多くの皆様方に知っていただきたく願っております。私事で恐縮でございますが、これからは岩淵神木が神風流の発展に力を注ぎ、新しい時代に活躍してくれることと思います。私同様、今後共宜しくお願い申し上げます。
(プログラム掲載文より)



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大会前日の準備では、夜8時近くになりました。
準備から撤収まで2日間にわたり、舞台係、進行係、役員の方々、映像の(株)トリム、PAC、よみうりホールスタッフ、関係者の方々には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました。