インターネット番組で詩吟を紹介する(4)

NHK大河ドラマ『西郷どん』にちなみ、今年はインターネットTV番組「ミナキーの洒落と歌の日々」に2回西郷隆盛関連の詩吟で出演させていただきました。
前回は、「敬天愛人」という西郷の思想を詩吟の言葉で紹介し、また西道僊作「城山」も吟じました。
今回は、西郷南洲作「僧月照墓前作」。


月照の辞世の句
大君のためには何か惜しからむ 薩摩の瀬戸に身は沈むとも

詩吟に入れて吟じました。


さて『西郷どん』は、12月9日第46回「西南戦争」が放送されました。
私学校の生徒たちの暴発を抑えられず、西南戦争へとつながっていきます。大久保利通に「反乱の種を摘むための捨て石になってほしい」と望まれ、西郷がそれを天命として受け入れたということでしょうか。
そしていよいよ最終回を残すのみです。

城山での西郷隆盛ら最期の場面についてですが、資料によりますと、
名残の宴が催され、誰が弾ずるのか切々たる薩摩琵琶の調べが闇の中を流れ去った。浮沈の世の定めとはいえ、明日の戦いを前にして聞くものの感慨も一しおであった。翌朝、官軍が岩崎谷洞へ押し寄せ、一発の弾丸が西郷の肩から股を撃ち抜いた。別府晋介に支えられて数歩進んだが「晋どん、ここでよかろう」こういって西郷は、東の方を向いて大地にひれ伏した。天皇に罪をわび、最後のお別れを申し上げたのであろう。(『激闘田原坂秘録』より)




先日、薩摩琵琶鶴田流岩佐鶴丈門下生の会にて、琵琶曲「西郷隆盛」を演奏しましたが、この場面は次のように描かれていました。

都の方を伏しおがみ 時の勢い是非もなく 
事を挙げつる隆盛が 心の底を大君に
聴こえ上ぐべき由なくて 臣は此の世をまかるなり

天皇からの信頼が厚かった西郷であったのに、「賊軍」とされてしまったこと。西郷の心情を思うと切ないです。



詩吟「城山」(西道僊作)

孤軍奮闘 囲みを破って 還る
一百の 里程 塁壁の間
我が剣は 既に折れ
我が馬は 倒る
秋風 骨を埋む 故郷の山

なお、琵琶曲に勝海舟作「城山」もあります。

明治十年の秋の末 諸手の戦 打ち破れ 討つ討たれつやがて散る
薩摩武夫の雄叫びに 打散る弾丸は板屋打つ
霰たばしる如くにて 面を向けんようぞなき
木霊に響く鬨の声 百雷一時に落つるが如き有様 隆盛打見てほほぞ笑み
あな勇ましの人々やな 亥の年以来養ひし 腕の力も試しみて 心に残る事もなし
いざ諸共に塵の世を 逃れ出むは此時と 只一言を名残にて 
桐野村田を始めとし 宗徒の輩諸共に 煙と消えし丈夫の 心の中こそ勇ましけれ
官軍これを望み見て 昨日は陸軍大将と仰がれて 君の寵遇世の覚え 
類なかりし英雄も 今日はあへなく岩崎の山下露と消え果てて
移れば変わる世の中の 無常を深く感じつつ・・・・・
(勝海舟作詞 鶴田錦史作曲「城山」より抜粋)


この場面の詩吟としては、「岩崎谷の洞に題す」(杉孫七郎作)を思い浮かべます。 
百戦 功無し 半歳の間
首邱 幸いに家山に返るを得たり
笑う 儂れ死に向として 仙客の如く
尽日 洞中 棋響 閑なり

洞にて、死を目の前にした西郷の心境を「笑う」と吟じるのですが、
ここが一番難しい表現です。
「笑う」を吟じるとき、言葉で説明すると、「わろ(上上)ーお(3上)おお(上)ーーお(上上)お(上)ーー」(3上突っ込みの上上の変)になるかと思います。
西郷は、「仙客の如く」清々しく覚悟を決めていました。「最後の侍」として。
詩心を表すとは、こういう心情を吟じられることだと思います。

詩吟と琵琶を練習している者としては、『西郷どん』の最終回(12月16日放送)がどのように描かれるのかとても関心があります。「若者たちが、吉之助が、この日本にどんな想いを託して命を散らしていったのか。何卒見届けてほしい。」西郷演じる鈴木亮平さんの言葉にありました。