令和元年 総元代範研修会

令和元年8月26日 総元代範研修会 @ホテルグランドアーク半蔵門 華の間


昼食後、研修会の開始です。




研修吟題
➀至善 西行
晴(はれ)にあらず雨(あめ)にあらず 睡蓮(すいれん)の天
山(やま)にあらず林(はやし)にあらず 在家(ざいか)の仙
一日(いちにち)を一生(いっしょう)として興(きょう)究(きわ)まりなし
老楽(ろうらく)は 唯(ただ) 至(し)善(ぜん)を行うにあり




・西行は、自分を在家(ざいか)の仙人だと詠んでいる。在家(ざいけ)と読む場合は、出家しない人のことを言うので、出家したけれども世棄て人になりきれていない自分を歌に残すという、西行自身をよく表現した言葉だと思う。この世を捨てきれない自分を見つめ、それならば自分はなんのために生まれてきたのか、自分の心の在り方を自問するのが西行である。それにより、一日を一生とし、すなわち毎日いただいている命を如何に生きるかを考えたとき、世の中に善いことを行い、自分の人生にお返しをしていく。出家して実現したい自分を詠んでいる。

②西行 和歌一首
願はくは 花の下にて 春死なん
その如月の 望月の頃


・西行の和歌は2300首余り残されているが、桜と月をこよなく愛した西行の有名な和歌と言えば・・・。願わくは、釈迦入滅の二月一五日(現在の三月中旬)の頃、満月の光を浴びた満開の桜が私の死を照らし出さんことをと詠んだ和歌であろう。西行は二月一六日に生涯を閉じたのであった。



③松尾芭蕉 俳句「行く春を 近江の人と 惜しみける」
近江の人と春の名残を詠んだ句であるが、近江というと琵琶湖を連想させる。琵琶湖のそのときの美しい風景が浮かんでくる。

④明智光秀公辞世句
順逆(じゅんぎゃく) 二門(にもん)に 無し
大道(だいどう) 心源(しんげん)に 徹(てっ)す
五十五年(ごじゅうごねん)の夢(ゆめ)
覚(さ)め来(きた)れば 一元(いちげん)に 帰(き)す

・元禄6年に書かれた「明智軍記」に因るもので、山崎の合戦で敗れた光秀公が、この偈を従士の溝尾庄兵衛に托して自刃したと伝えられている。(中略)大意は、修行の道には順縁と逆縁の二つがある。しかしこれは二つに非ず、実は一つの門である。即ち、順境も逆境も実は一つで、窮極のところ、人間の心の源に達する大道である。而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ。という意に解せられ、光秀公の深い教養と人生哲学を表しています。(西教寺明智光秀公辞世句解説版より)
漢詩を意訳すると「正しい順と逆の順をつなぐものは一本の道であり、間違ったことはしていない。順逆を問われる言われはなく、義にかなうものはわが心の中にある。大義を貫いて生きた五十五年の夢が覚めたが、私の心を知らない者はなんとでも言えばよい。すべて一元に帰すのだから。」となるだろうか。
「明智軍記」とは江戸時代に書かれた創作もので作者は不詳。本当に光秀が詠んだかどうかはわからないが、他に辞世の句として知られる「心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ」という歌と併せると、その時の光秀の思いをはかり知ることができよう。



⑤梅花謌卅二首并序 および和歌一首
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。詩紀落梅之篇、古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

・「令和」の典拠「萬葉集巻五」『梅花謌卅二首并序』は、奈良時代初め、大宰府長官大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた和歌三十二首を紹介した序文。

梅花の歌三十二首併せて序
天平二年正月十三日に、帥(そち)老(のおきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて宴会を申ぶ
時に初春の令月にして 気淑く風和ぐ
梅は 鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き
蘭は 珮後(はいご)の香(こう)を薫(かを)らす
加(しか)似(のみにあらず) 曙(あさけの)の嶺(みね)に雲移り 
松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)く
夕べの岫(みね)に露結び鳥は殻(うすもの)に封(と)ぢられて
林に迷ふ 庭に新蝶舞ひ 空に故雁(こがん) 帰る  
ここに天を蓋(きぬがさ)にし 地(つち)を坐(しきい)にし
膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす
言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ 衿を煙霞(えんか)の外に開く
淡然に自ら放し 快然に自ら足りぬ
若し翰(かん)苑(えん)に非ずは 何を似(もっ)てか 情(こころ)を
のべむ
詩に落梅の篇を記す 古と今と夫れ 
何か異ならむ
宜しく園梅を賦して 聊(いささ)かに短詠を成すべし
(訳は小島憲之編『萬葉集二』による)

・主人(大伴旅人)の和歌 一首
我が園に 梅の花散る ひさかたの
天(あめ)より雪の 流れ来るかも


四つの会ごとに練習


⑥ 秋思詩  菅原道真(新編86頁)
丞相 年を廃して 幾度か 楽思す
今宵 物に触れて 自然に悲し
声は寒し 絡緯 風吹くのところ
葉は落つ 梧桐 雨打つの時
君は 春秋に富み 臣漸く 老ゆ
恩は 涯岸無く 報ゆること猶 遅し
知らず 此意 何をか 安慰せん
酒を飲み 琴を聴き 又詩を 詠ず


⑦ 兵児謡  逸名
勝てば 是れ官軍 負くれば 是れ賊
男子 唯応に 嶮難を 犯すべし
咄嗟 暁に 鹿児島を 出で
絶叫して 夕に渡る 太郎 山
眼下 蕞薾たり 熊本の 城
手に唾して 抜くべし 立食の間
君見ずや 南関北関 路は 歴々
直ちに 此の関を破らば 一敵も
無からん


⑧ 聞官軍収河南河北 杜甫
剣外 忽ち伝う 薊北を収めしを
初めて聞き 涕涙 衣裳に満つ
妻子を 却り看れば 愁い何にか在らん
詩書を 漫りに巻きて 喜び狂わんとす
白日に 放歌し 酒を縱にすべし
青春 伴作して 好し郷に 還らん
即ちに巴峡より 巫峡を穿け
便して 襄陽に下りて 洛陽に向わん


➈ 無心境(和歌入り) 良寛
花は無心にして 蝶を招き
蝶は無心にして 花に宿る
花開く時 蝶来り
蝶 来る時 花 開く
鳥は鳴く 木々の梢に 花は咲く
我も浮世に いざまじりなむ
吾が楽しみは 人知らず
人の 楽しみは 吾 知らず
 


合吟練習の風景


研修吟題のうち、いくつかは秋季全国詩吟大会(令和元年11月3日有楽町よみうりホールで開催)にて発表するので、合吟練習をしました。





富山、岐阜、京都、新潟、仙台など遠方よりご参加された先生方の前で、最後は「富士山」の大合吟となりました。


ご参加いただきました皆様方に御礼申し上げます。