今日の詩吟教室は広瀬淡窓の漢詩です・・・
広瀬淡窓は、26才の時に豊後日田に桂林荘(後の咸宜園)を開きました。桂林荘の塾生に示した「桂林荘雑詠」が四首あります。その中で最も有名なものは、「休道詩」とも称される「道ふを休めよ」から始まる詩です。
さて、教室の生徒さんから、こんな質問がありました。
「この詩吟は、どのような気持ちで吟じたらいいでしょうか。」
この詩には、親元を離れて学問に打ち込む塾生たちへの励ましが詠まれています。
「さあ、君は水を汲んできたまえ。私は薪を拾おうではないか。」
共に励まし合うあたたかい心の通い合いを感じます。
共同生活の中で学問に励む塾生たち。淡窓は、辛さや苦しさを乗り越えてこそ、学問は身につくものであると諭しているのです。努力する人を勇気づけるような吟です!
さて、今はちょうど受験シーズンです。受験生にエールを送るよう吟です。
そして淡窓の思想の中心にあるのが「敬天」の思想だということにも注目したちいと思います。
広瀬淡窓は、26才の時に豊後日田に桂林荘(後の咸宜園)を開きました。桂林荘の塾生に示した「桂林荘雑詠」が四首あります。その中で最も有名なものは、「休道詩」とも称される「道ふを休めよ」から始まる詩です。
一
幾人負笈自西東 幾人か笈を負ひて西東自りす
両筑双肥前後豊 両筑 双肥 前後の豊
花影満簾春昼永 花影 簾に満ちて 春昼永く
書声断続響房櫳 書声 断続して 房櫳に響く
二
休道他郷多苦辛 道ふを休めよ 他郷 苦辛多しと
同袍有友自相親 同袍友有り 自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪 柴扉暁に出づれば 霜 雪の如し
君汲川流我拾薪 君は川流を汲め 我は薪を拾はん
三
遙思白髪倚門情 遙かに思ふ 白髪 門に倚るの情
宦学三年業未成 宦学三年 業未だ成らず
一夜秋風揺老樹 一夜 秋風 老樹を揺がし
孤窓欹枕客心驚 孤窓 枕を欹てて 客心驚く
四
長鋏帰来故国春 長鋏 帰り来る 故国の春
時時務払簡編塵 時時 務めて払へ 簡編の塵
君看白首無名者 君看よ 白首無名の者
曾是談経奪席人 曾て是れ 談経奪席の人なるを
(注: 諸生/塾生、 宦学/留学)
桂林荘の門人数は3千人にのぼったと言われています。大村益次郎や高野長英らも学んでいます。
「同袍」は、一つの袍(どてら)をともに着るような親しい友達のことです。
「紫扉」は、粗末な戸。朝早く、紫戸を開けて外に出てみると、霜が雪のように真っ白に降りていました。
淡窓は塾生たちに言います。
「勉強するのが辛いなどと嘆いてはならない。志を同じくする多くの友がいるではないか。」
花影満簾春昼永 花影 簾に満ちて 春昼永く
書声断続響房櫳 書声 断続して 房櫳に響く
二
休道他郷多苦辛 道ふを休めよ 他郷 苦辛多しと
同袍有友自相親 同袍友有り 自ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪 柴扉暁に出づれば 霜 雪の如し
君汲川流我拾薪 君は川流を汲め 我は薪を拾はん
三
遙思白髪倚門情 遙かに思ふ 白髪 門に倚るの情
宦学三年業未成 宦学三年 業未だ成らず
一夜秋風揺老樹 一夜 秋風 老樹を揺がし
孤窓欹枕客心驚 孤窓 枕を欹てて 客心驚く
四
長鋏帰来故国春 長鋏 帰り来る 故国の春
時時務払簡編塵 時時 務めて払へ 簡編の塵
君看白首無名者 君看よ 白首無名の者
曾是談経奪席人 曾て是れ 談経奪席の人なるを
(注: 諸生/塾生、 宦学/留学)
桂林荘の門人数は3千人にのぼったと言われています。大村益次郎や高野長英らも学んでいます。
「同袍」は、一つの袍(どてら)をともに着るような親しい友達のことです。
「紫扉」は、粗末な戸。朝早く、紫戸を開けて外に出てみると、霜が雪のように真っ白に降りていました。
淡窓は塾生たちに言います。
「勉強するのが辛いなどと嘆いてはならない。志を同じくする多くの友がいるではないか。」
さて、教室の生徒さんから、こんな質問がありました。
「この詩吟は、どのような気持ちで吟じたらいいでしょうか。」
この詩には、親元を離れて学問に打ち込む塾生たちへの励ましが詠まれています。
「さあ、君は水を汲んできたまえ。私は薪を拾おうではないか。」
共に励まし合うあたたかい心の通い合いを感じます。
共同生活の中で学問に励む塾生たち。淡窓は、辛さや苦しさを乗り越えてこそ、学問は身につくものであると諭しているのです。努力する人を勇気づけるような吟です!
さて、今はちょうど受験シーズンです。受験生にエールを送るよう吟です。
そして淡窓の思想の中心にあるのが「敬天」の思想だということにも注目したちいと思います。
「すべての塾生が各自、よきものを保持し、そのよきものは天与のものである。」
「自分を信じて、自分だからこその道を励みなさい。」
受験というと競争の意味合いが強くなりがちです。でもそのようなことを気にせずとも、自分を信じ毎日を大事に過ごしてきた人は、きっと素晴らしい場所にたどりつけるということなのです。
(2016年1月11日)