陶淵明「歳月は人を待たず」

「歳月は人を待たず」というあまりに有名な句について・・・

今日の詩吟教室では陶淵明の「勧学」を取り上げました。
この「勧学」は、古詩「雑詩」十二首の其の一の一部です。
「雑詩」とは、思い浮かんだ事柄を詩にしたものという意味ですが、日本語の「雑」というイメージとは全く異なります。人としてごく当たり前の感情が詠まれているので、むしろ生きることの真理を言い得ている貴重な詩です。


雑詩 其の一

人生 根帯無く
飄として陌上の塵の如し
分散し風に随いて転ず
此れ已に常未に非ず
地に落ちては兄弟と成る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
歓を得なば当に楽しみを作すべく
斗酒もて比隣を聚めん
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨なり難し
時に及びて当に勉励すべし
歳月は人を待たず

(大意)
人の生というものはこの世につなぎとめておけるものではない。
風が吹けば、道にさまよう塵のようなもの。風のままに散ってしまったら、もう元には戻れない。
時の流れに身をまかすだけ。
この世に生まれ落ちれば、人はみな兄弟のようなもので、肉親だけが兄弟とは限らない。
楽しいときには歓びをもって、心ゆくまで仲間と酒を汲み交わそう。
若い時というのは、二度と来ない。
一日に二度、朝が来ることもない。
時を逃さず、楽しめるときには精一杯楽しもう。
年月はとどまることなく流れ、人を待ってはくれないのだから。

「勉励」とは、大いに楽しむという意味ですが、「学べるときには大いに学び、励んでおかなければならない」という訳の方が受け入れられているかもしれません。いずれにせよ、一日一日を大切にしたいと思います。「歳月は人を待たず」というのが作者の言おうとしていることです。とても心に沁みる詩です。

「勧学」と題した四句だけではわかりずらいのですが、陶淵明の人生観は、現実世界の細かいことに悩まずに、楽しめる時に楽しもうというものです。「歳月は人を待たず」なのですから、くよくよ悩んでいる時間は勿体無いのです。
陶淵明の時代は、六朝の東晋から宋にかけて、戦乱が繰り返された時代でした。こうした社会背景において、詩歌の世界では、悠々自然の生活を楽しむ内容の作品が流行しました。
陶淵明も、官吏としては不遇で、晩年は郷里の潯陽で隠居生活を送っていました。それでも人生楽しもうじゃないかという清々しく気持ちの良い感情が伝わってきます。
田園風景の中で生まれた生活感のある詩風ですので、読んでみると、誰でも「なるほど」「あるある」と思えるのです。それぞれ自分の経験に照らし合わせながら吟じてみるというのもまた楽しいのではないでしょうか。
                                    (2016年1月25日)