新年会

皇居に臨むホテルグランドアーク半蔵門で、詩吟神風流花の会の新年会が行われました・・・

100畳の和室での会食は、初めて参加された方を交えて和気藹々と進みました。今回、平成生まれの若い総元代範の方も参加され、裾野の広がりを感じることができました。








今日は、秋の全国詩吟大会に先がけて、大江朝綱の「王昭君」を勉強しました。
 

 王昭君   大江朝綱 

翠黛紅顔錦繍粧  翠黛 紅顔 錦繍の 粧


泣尋沙塞出家郷  泣いて 沙塞を尋ねて 家郷を 出づ

辺風吹断秋心緒  辺風吹き断つ 秋の 心緒

隴水流添夜涙行  隴水 流れ添ふ 夜の 涙行

胡角一声霜後夢  胡角 一声 霜後の 夢

漢宮万里月前腸  漢宮 万里 月前の 腸

昭君若贈黄金賂  昭君 若し 黄金の賂を 贈らば

定是終身奉帝王  定めて是れ 終身 帝王に 奉ぜん 


(現代語訳)
王昭君の翠黛紅顔(美人のこと)、錦や刺繍で飾られた衣裳は、目を奪うほどのものがあった。しかし彼女は、泣く泣く漢の都から遠い辺境の地の匈奴の王に輿入れをするため、故郷を出発するのであった。辺地のさびしき風が吹き、秋の愁いの心は切ない。隴西の水は、夜半に独り泣く涙を添えて流れる。胡人の吹く角笛が寂しげに聞こえてくると、霜夜の夢がはっと醒めるのであった。現実に帰ってみると、都は遥か万里に遠ざかり、月の光に照らされる王昭君の思いは断腸の悲しみであった。王昭君がもし絵師に黄金の贈り物をしていたら、おそらく終身、帝の寵愛を受けていたであろう。

大江朝綱(886-957)は平安中期の学者。「王昭君」は『和漢朗詠集』に収められ、『源氏物語』にも登場しています。
前漢時代の伝説として、王昭君の物語は古来から文人によって数多く伝えられてきました。皇帝の後宮には多くの宮女がいましたが、匈奴が入朝して宮女を求めた際、皇帝は絵師が描いた宮女の肖像画の中から、一番醜く描かれていた王昭君を選んだのでした。
なぜ王昭君が醜く描かれたのかというと、絵師に賄賂を贈らなかったからだとか、絵師自身が王昭君に魅了されて皇帝に渡したくなかった等、諸説あります。

中国は、古来より北方からの侵入に悩まされていました。漢王朝は北方の匈奴を懐柔することが必要でしたから、宮女の中から女性が匈奴の王に送られたというのが、「王昭君」の物語の背景です。そして選ばれた王昭君を皇帝はこの時初めて見ました。あまりにも美しかったので驚いたのですが、時すでに遅し。王昭君は故郷を離れて胡の地に向かい、絵師は処刑される結果になりました。

 
このように伝説では、王昭君の物語は悲劇的に描かれていますが、それは漢民族の視点であったとも考えられます。異民族である匈奴に嫁ぐことが如何に悲劇であったのかが強調されています。しかし一方で、実は王昭君は自ら匈奴の王妃に志願したのではないかと言われています。
真実は明らかではありませんが、いずれにせよ王昭君が匈奴の王に嫁いだ意義は非常に大きいと言えます。なぜなら、王昭君は漢の文化を匈奴に伝えるなど匈奴との交流の礎を作ったからです。また、匈奴の王の死後、匈奴の慣例に従い王昭君は王の息子と結婚しましたが、夫に愛され、二人の子供に恵まれました。匈奴の民からも尊敬されたと伝えられています。 王昭君の新しい見方もでき、また一つの漢詩から見えてくる歴史について学ぶことができました。
 
 
画像は、菱田春草の「王昭君」 王昭君を送り出す別れの場面
 
                                     (2016年2月14日)