三月は「送別」の季節

春は別れの季節・・・

唐詩には、「送別」をテーマにしたものが多い。
惜別、悲哀、そういった情こそ、文人たちによって詩に表現されてきたのだと思う。
別離は、人生において避けがたいものである。
「花発(ひら)いて風雨多し。人生別離足る。」
唐の詩人、于武陵「酒を勧む」の中の句である。
「ハナニアラシノタトヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ」と井伏鱒二が訳していることで、日本人にもよく知られている。

 酒を勧む  于武陵
君に勧む 金屈巵
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)いて 風雨多し
人生 別離足る

黄金に輝く杯になみなみとつがれた酒。
君に勧めよう。どうか飲みほしてくれ。
花がひらく時期こそ、風雨も多い時期である。
人として生きているかぎり、別離というものは避けがたいのだ。

別離のさびしさを感じるけれども、酒を汲み交わし、新しい出発を心から願うという詩である。
別離とは、人生においては不条理なものだとは思う。
「花発多風雨」(花ひらいて風雨多し)
自然を見てみれば、花が開いて充実した時期があるけれども、風雨が多く、花が散る時期もあるではないか。どうしても避けられないものなのである。さればこそ、束の間の充実のときを、酒を飲んで楽しもうではないか。

井伏鱒二の訳詞
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウオナミナミツガシテオクレ 
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(『厄除け詩集』)


別れの席で、酒を勧める詩は多いが、次の王維の詩は、送別の詩の代表ともいえる。

 元二の安西に使いするを送る  王維
渭城の朝雨 軽塵を浥す
客舎 青青柳色 新なり 
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん

陽関とは、敦煌の近くにある辺境の地。安西とは、甘粛省の西のはずれにあり、唐の時代には安西都護府が置かれ、西域の守備にあたった要地。当時、西域に向かって旅立つ人を渭城(秦の都咸陽の別名)まで見送って別れる習慣があった。
友である元君がはるか砂漠の西方へと旅立つ朝、渭城の町は、明け方に降った雨で軽い塵がしっとりと潤いを見せていた。宿の前には青々とした柳の芽が水を含み、より青々と新鮮に見えた。
中国では、惜別をあらわすために、旅人に柳の小枝を手折って渡し、旅の平穏を祈るという風習があった。「折楊柳」という曲名でも知られるが、柳の風情は送別の情につながるのである。
元君よ、陽関を出ずればもう酒を汲み交わす友もいないだろう。君と昨夜から酒を汲み交わして別れを惜しんだが、こうして朝を迎えると、またことさら惜別の情が浮かんでくる。だからせめて・・・「更に尽くせ一杯の酒」と友を想うもう一杯の重みを感じることができる。
王維の「元二の安西に使いするを送る」の七言絶句を吟詠後、その結びに「無からん 無からん 故人無からん 西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん」 と句を繰り返す「陽関三畳」の慣わしがある。繰り返し吟じることで、別れを惜しむ心情が切々と伝わってくるのである。

友人との別れの詩は、他にも孟浩然「送友人之京」、李白「送友人」、「黄鶴楼送孟浩然之広陵」、「贈汪倫」、王昌齢「芙蓉樓送辛漸」など・・・。
それぞれ感慨を味わいたい季節でもある。
                                  (2016年3月19日)